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稲造の本棚について

〜日本の豊かなキリスト教土壌のために〜



【稲造の本棚】の開店のめざすところは、「日本にもっと豊かなキリスト教の土壌をつくりたい」というところにあります。

『ケセン語訳新約聖書』(2002年/イー・ピックス)出版の際の冒頭推薦文に、「土着化を模索する多くの人々に大きな励ましとなりますように」(カトリック仙台司教区溝部脩教区長/当時)と紹介されていますが、1549年のキリスト教の渡来以来450年以上経つ現在でも、キリスト教という「種」は日本の土壌にまだ根付き、花を咲かせ、豊穣な実をつけているとはいえないようです。

キリスト教系の多くの学校や病院が日本の社会の中に受け入れられ評価を得ているのとは対照的に、日本のクリスチャンの人口はわずか1%弱といわれ、キリスト教はいまだに「弱小の外来種」というのが現実です。


「敵(かたき)といえどもどこまでも大事にし続けろ。さらにはだ、自分をさいなむ者のために何かよいことをしてやりたいものですが、何をしてやったらよいでしょうかと、神さまのお声に心の耳を澄まし続けろ。そうやって、天の父(とと)さまのいとし子になれ。」(マタイ5章44/『ガリラヤのイェシュー』/山浦玄嗣訳)というイエスの教えはそんなにも日本人に受け入れがたい教えなのでしょうか?


そうでないことは、日本人が愛してやまない上杉謙信の「敵に塩を送る」という故事により明らかです。わたしたち日本人はこの話を、人としてのあり方を示すよい教訓として大切にしてきました。本来日本人は「敵(かたき)といえどもどこまでも大事にし続けろ」というイエスの心と相通じる心をDNAの中にしっかりと持っているのです。日本人は、本来キリスト教に親和性があるといえます。


日本の土壌の中に、すでにそのような種があるのならば、その種が芽を出し、花を咲かせ、実をつけないのは、土壌のせいではないだろうかと考えるようになりました。


わたしは山浦さんとともに、2002年11月以来日本中の教会を巡り、神父様や牧師先生そして信者のみなさんと出会い、お話しする機会を得ました。その体験から感じたことが「日本のキリスト教土壌の硬直化」ということでした。

かたくなった土壌に新鮮な空気を吹き込み、コンクリートのようになっていた土をふんわりと軟らかくしてくれたのが山浦玄嗣さんの著作や講演活動であったと私は考えています。
土壌が柔らかくふんわりとなれば、その土壌の中に埋もれていた「種」は自然と発芽し、花を咲かせ、実をつけます。


そのことを願いながらイー・ピックスは【稲造の本棚】を開店いたします。

わたしたち「日本人の言葉」でもっと自由にイエスの心を語りましょう。
西洋の流儀や風習・思想の中にばかりイエスを探すのではなく、日本人の流儀や風習・思想の中に本来あるイエスの心を探してみましょう。
そのために【稲造の本棚】がお役に立つことを願いつつ開店いたします。