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稲造の本棚の店主(編集者)
熊谷雅也です。

私は岩手県大船渡市生まれで、小学2年生から高校3年生までは盛岡に住んでおりました。
家庭は、日本によくある仏教徒の家で、朝の日課は仏壇に炊きたてのご飯を供えることでした。

本との出会いは漫画でした。
私の子供時代の漫画といえば「月刊漫画」の時代で、
待ちわびた月刊誌が届くと1時間もかけずに読み終わり、
次の日からは又同じ漫画を1週間も2週間も繰り返し繰り返し読み、
付録に付いてきた紙の模型などを作りながら次の号を待ったものでした。
(これでだいたいの年代が想像できますね ^-^ )

読書の楽しさを知ったのは小学4〜5年生頃で、
図書室から「名探偵ホームズ」や「怪盗ルパン」の本を毎日のように借りて読んだものです。
5〜6年生になってくると日本文学全集とか世界文学全集などを小遣いで買っては、
本棚に蔵書が増えるのを楽しんだものです。

キリスト教とは全く縁のない家庭に育った自分が、
いつどんな形でキリスト教と出合ったのかと考えたことがありました。
それは、小学校の5〜6年生の頃です。
近所にかなり年配のプロテスタントの牧師夫婦がいて、クリスマス会に誘われました。
当時、クリスマスプレゼントは田舎の町でも親からもらったものですが、牧師さんと過ごすクリスマスはその時が初めての経験でした。
そのご夫婦は、寺子屋みたいなこともやっていて、普段から勉強も見てもらっていたように記憶しています。

キリスト教との最初の接点は、おそらくたったそれだけのことだったのですが、
高校生になり、人生の悩みを感じたとき、何を思ったか本屋に行って聖書を買って読み始めました。
新約・旧約が1冊になったぶ厚い聖書です。
表紙を開き、アダムやエバの話まではよかったのですが、そのあとがちんぷんかんぷん。
途中を飛ばし飛ばし読んで、新約聖書に行きつくとホッと一息。
新約聖書は少しは理解できたものの、世界中の多くの人がこの書物から救いを得ているという、その理由がよくわかりません。
心に残ったのは「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」という言葉くらいでしたでしょうか。
これなら高校生の自分でも納得の言葉です。
しかしそれ以上の感動を得ることはなく、結局自分の悩みは、大学生・社会人の時代へと引き継がれ、
心の中でくすぶり続けてゆくことになりました。

     ●   ●   ●

そんな自分が大学を出て、生まれ故郷の大船渡に帰ることになりました。
盛岡で祖父の時代から続く家業の印刷業を、大船渡で細々と営んでいた伯母の印刷会社を急きょ手伝うことになったのです。
伯母が急に倒れたからでした。
しかし、小さな田舎町での会社経営は予想以上に厳しく、
大学をでたばかりで人生への期待に胸を膨らませていた自分は、
なんとか大船渡から抜けだし、自分の能力を生かせる新しい世界を見つけだして、雄飛したいと思っていました。
事業が思うように行かず、伯母との確執もあったのです。

明日にでも大船渡を飛び出そうと思っていたとき、不思議な夢を見ました。
「自分は浅瀬の小川に立っており、川上から何か白いものが流れてきます。
手に取ってみるとそれは小さな手帳くらいの大きさの薄い本のようなものでした。
『一体この本には何が書いてあるんだろう?』
そう思いながらその表紙をめくったとたん、私の悩みはすべて氷解しました。」
わたしが今すべきことは何なのか?
伯母の印刷業を続けてゆくべきなのか?
その悩みがすべて霧散したのです。

その手帳のような本を開いてみると、なんとその中は真っ白だったのです。
「この白い本に本来書かれているべき自分の夢や希望、ビジョンがはっきりしていないことが、今のおまえの問題なのだよ。」
「おまえが悩みの種だと思っている、家業の経営や人間関係の確執が問題ではないんだよ。」
「先ずは今の印刷の仕事を続けなさい。その中できっと道が開けるはずだよ。」
「この白いページに何を記したいのか、それをこれからの人生で探すことがおまえの一番の課題なのだ。」
この白いページからはその様な言葉が聞こえてきたように思えました。

そしてわたしは縁があり大船渡のカトリック教会へ通うようになり、数年して洗礼を受けることになります。
この頃、仙台の東北大学病院に勤めていた山浦玄嗣さんが大船渡に戻り開業しました。
大船渡教会は一気に11人もの信者が増え、小さな教会が大賑わい。
しかしこの時はもちろん、小さな印刷会社のわたしが山浦さんのケセン語の聖書を出版することになるとは夢にも思いません。
その出版まではそれから15年の月日が必要でした。

     ●   ●   ●

まもなく2001年が来ようという、20世紀の大世紀末。
私の印刷会社は21世紀に生き残れる会社になれるかどうかの瀬戸際の判断を迫られていました。
高速インターネット網が日本中に張り巡らされ、安くて高性能のパソコンが普及し、昨日まで頼まれていた仕事が今日は来ないのです。
「このままではこの会社は21世紀に生き残ることが難しい。 21世紀に役に立つ仕事ができなくなってしまう。 21世紀へのビジョンをしっかりと見定めなければ!」

その様に考えていた自分は活版印刷の父といわれるグーテンベルクの伝記を偶然手に取る機会がありました。
中世の時代にあって、グーテンベルクは活字鋳造の技術と印刷機械を作る研究を続け、
ついには世界で初めて聖書を活版印刷機で刷り、商業出版を成し遂げた人物として今も人類史に名を残す人物です。
グーテンベルクの仕事は、暗い中世の世界に明るい光をもたらし、当時の人々を明るく光り輝く啓蒙の時代へと導きました。
そして産業革命へとヨーロッパを導きます。

その原点にあった仕事がグーテンベルクの仕事だったとわたしは考えました。

さらにわたしは考えました。
グーテンベルクの仕事の本質とは、「活版印刷の開発」というところにあったのではなく、
「価値ある情報の加工と流通」にあったのだと。
「ならばわたしは21世紀のグーテンベルクになろう」
今の時代に、自分たちが手にしている技術やノウハウを最大限に活かし、
「今の時代に必要な、価値ある情報の流通と加工をめざす会社になろう!」
そう決意し、社名に「イー・ピックス」という愛称を付け、
2001年1月から「イー・ピックス/大船渡印刷」と呼ぶことにしました。
新しい名刺を作り、その名刺には「私たちは21世紀のグーテンベルクを目指します」とキャッチフレーズを入れました。

そして、その名刺を配り始めてから数ヶ月後、山浦さんと会う機会がありその名刺を山浦さんに手渡しました。
「先生、大船渡印刷は21世紀のグーテンベルクを目指すんです!」
すると山浦さんは、
「君が21世紀のグーテンベルクを目指すというならば、グーテンベルクはどんな人物か知っているかい?」
とききます。
「もちろんです。グーテンベルクは、中世の時代にあって、活字鋳造の技術と印刷機械を作る研究を続け、ついには世界で初めて聖書を活版印刷機で刷り、商業出版を成し遂げた人物として、今も人類史に名を残す人物です。グーテンベルクの仕事は、暗い中世の世界を明るく輝く啓蒙の時代へと導き、やがて産業革命へとヨーロッパを導いたんです。」
とわたしはこたえました。

「その通りだ。ならば、私はいま、この気仙地方の言葉ケセン語で聖書を出版しようと原稿を書いているのだが、君が21世紀のグーテンベルクを目指すというならば、私と一緒に出版してみないか?」
「もちろんです。一緒にやらせてください!」

「21世紀のグーテンベルクになると標榜し、わずか数ヶ月のうちにグーテンベルクと同じに聖書を出版する機会が与えられるということは、これはまさに神から与えられた天命に違いない! これこそ21世紀のグーテンベルクの仕事」
そう考え(思い込み)、それ以降山浦さんとわたしは二人三脚で出版活動を続けることになったのです。
思えば、あの不思議な夢から15年以上も経った2001年の秋のことでした。

     ●   ●   ●

2002年11月、最初の『ケセン語訳聖書:マタイによる福音書』が出版され、
その月の半ば、山形県鶴岡市の日本キリスト教団鶴岡教会の矢澤牧師の教会での山浦講演が聖書の販売の皮切りでした。
矢澤牧師は、NHKの「こころの時代」で放映された「ケセン語で読む聖書」を見て山浦さんに講演の依頼をしていたのですが、
そのタイミングがマタイが出版された直後だったのです。

山浦さんのお話は信者のみなさんの心をとらえ、1冊6000円近くもする本が飛ぶように売れました。
そしてその日の午後のカトリック鶴岡教会の講演でも同様の反応で、車一杯に積んだ聖書の山はたちまち底をついたのでした。
次の日に会社に届いた一通の手紙に、
「一冊の喜ばしい便りが、はるか東の方から、まるで天使の翼に運ばれてくるように、私の手元に届きました。」という嬉しい手紙が北陸の方から届きました。
「こころの時代」を見て本を予約していた方がケセン語訳聖書を受け取り、感謝の手紙をくれたのでした。

わたしはこの手紙を受け取る数分前に、
「5000、3000、3000,3000,
5000、3000、3000,3000,
天使の翼で飛んで行く、ケセン語聖書が飛んで行く、日本中に飛んで行く
キリスト教史の金字塔、気仙のイエスが打ち立てる
5000、3000、3000,3000
5000、3000、3000,3000
グーテンベルクの仲間たち、歓喜のうちにバチカンへ。
アレルヤ、アレルヤ」
というアファーメーションを頭の中で作ったばかりでした。
※「5000、3000、3000,3000」という数字は、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ」の出版した部数。

つい数分前に自分の頭の中で発想した「天使の翼でえ飛んで行く」という言葉がそのままに表現されたその手紙を見て、
山浦さんとイー・ピックス社とでこれから成し遂げようとする出版事業が神様に祝福され、
多くの日本人の心とシンクロしていると感じ、心を強くしたのでした。

その日からさらに16年の月日が経ち、その間には東日本大震災が発生。
イー・ピックス社の社屋も流出してしまいましたが、
山浦さんの仕事はこれを機にさらに世に広く知られるようになりました。


【稲造の本棚】はこのような過程の中で次第に心の中に湧き上がってきた構想です。
山浦さんの数多くの講演活動と出版活動は、
日本の教会や硬直した日本人のキリスト教信仰を自由に解き放ってくれている仕事だと感じています。
いわば、日本のキリスト教の土壌を20年近くかけて土壌改良してくれた仕事が山浦さんの仕事だったのだろうと思っています。

有用な微生物が増え、ふっくらとした土壌には多くの植物が多くの実を稔らせます。
山浦さんの仕事が土壌改良だったとするならば、
これからの未来に向け、種をまき苗を植えるのは全国にいるクリスチャンの皆さんおひとりおひとりの仕事だと思います。
そしてイー・ピックスの【稲造の本棚】はそれをお手伝いするために作ったものです。

もうすでに出版された本をお持ちでしたら、このサイトでの販売を考えてください。
もしこれから出版をお考えの方は、是非イー・ピックスからの出版と【稲造の本棚】での販売をお考えください。
まだまだみなさまにお伝えしたいことはたくさんあるのですが、
これまでの文の中で【稲造の本棚】の趣旨を、少しはお伝えすることができたかと思います。

どうかこの【稲造の本棚】を応援くださいますようお願いいたします。
最後までこの長文をお読み頂き有り難うございました。

※写真はケセン語訳聖書の4巻と、2004年4月に教皇ヨハネ・パウロ2世に謁見したときの様子

バチカンの教皇ヨハネ・パウロ2世に献呈された、ケセン語訳新約聖書全四巻2004年4月29日、山浦玄嗣さんをはじめとするケセン遣欧使節団一行の特別謁見風景



※イー・ピックス/(有)大船渡印刷の事業概要



※2018年8月19日現在、この記事は書きかけです